未来を加速させるAGC
仕 事“異端”から生まれた協創のデザイン
~協創空間『AO』(アオ/AGC OPEN SQUARE)開設プロジェクト~
Member Profile
河合 洋平
Kawai Youhei
技術本部 企画部
協創推進グループ
マネージャー
協創推進グループ
マネージャー
2002年入社。理工学部応用化学科卒。大学の研究内容がガラスに近く、研究所を見学したことがきっかけとなって入社する。太陽電池カバーガラス用反射防止コーティング、車載用ナノ構造制御膜などの研究開発に携わるほか、クリエイターとの協創やクリエイティブな思考を共に学ぶ社内コミュニティ活動等にも積極的に取り組む。
磯村 幸太
Isomura Kota
デジタル・イノベーション推進部
プロフェッショナル・ファシリテーター
プロフェッショナル・ファシリテーター
2011年入社。システムデザイン・マネジメント研究科修士課程修了。多くの製品が世界シェアNo.1、2であること、創業の精神や社員の雰囲気からチャレンジする姿勢を感じたことで、入社を決めた。生産管理や国内営業、新規事業立ち上げ、DX推進、組織開発など、幅広い業務で多様な経験を積む。
中川 浩司
Nakagawa Kouji
技術本部 企画部
協創推進グループ
マネージャー
協創推進グループ
マネージャー
2006年入社。工学部卒。大学の研究室で選択したテーマがAGCとの共同研究テーマだったことがきっかけで入社。以来、一貫して研究開発に取り組む。途中、シリコンバレーに勤務し、本場のデザイン思考を経験。帰国後、社外との協創による新規ビジネス開拓にデザイン思考を取り入れた活動をする。
01
水面下で始まった“有志活動”
「そもそもの発端は、羽沢と京浜の統合でした」
『AO』誕生の経緯について中川は、そう口火を切った。
“羽沢”とは長年にわたって基礎・研究開発を担ってきた『中央研究所』のことだ。一方“京浜”とはプロセス、設備開発などを担う旧:京浜工場(現:AGC横浜テクニカルセンター)のことである。
『中央研究所』は開設から50年以上が経過し、老朽化が著しかった。だが敷地には建て替えるための十分な余裕がない。
ならばいっそ『京浜工場』と一緒にして新しい研究開発棟をつくってはどうかという構想が動き出していたのである。この構想は2010年頃からあった。
実はこの構想の背景には、老朽化以外にもある重要な事情が潜んでいた。時代の変化に対応してAGCも変わっていかなければ、という想いだった。
“羽沢”とは長年にわたって基礎・研究開発を担ってきた『中央研究所』のことだ。一方“京浜”とはプロセス、設備開発などを担う旧:京浜工場(現:AGC横浜テクニカルセンター)のことである。
『中央研究所』は開設から50年以上が経過し、老朽化が著しかった。だが敷地には建て替えるための十分な余裕がない。
ならばいっそ『京浜工場』と一緒にして新しい研究開発棟をつくってはどうかという構想が動き出していたのである。この構想は2010年頃からあった。
実はこの構想の背景には、老朽化以外にもある重要な事情が潜んでいた。時代の変化に対応してAGCも変わっていかなければ、という想いだった。
「新しい素材の開発には概して長い時間がかかるものです。しかし時代の変化が激しい今、従来のスピード感では市場のニーズについていけなくなる可能性がある。そこで『中央研究所』と『京浜工場』が一つになり、基礎研究から量産化までスピーディーな開発を実現しようという方針が打ち出されました」(磯村)
例えば、一般的にデザイン思考などでいわれる試作品(プロトタイプ)というのは、紙や段ボールなどで簡易的に体験をデザインする手法だが、それに対してAGCでは、試作品(プロトタイプ)をつくることを「1トンのガラスをつくる」という言い方をする。しかしたった一つの試作品に1トンものガラスを使うようでは、時間がかかりすぎて時代の変化についていけない。
こうしたAGC内の“常識”を変えていく上でも、「羽沢と京浜が統合する」ことは絶好のチャンスだったのだ。
キーワードはオープンイノベーションだった。
こうしたAGC内の“常識”を変えていく上でも、「羽沢と京浜が統合する」ことは絶好のチャンスだったのだ。
キーワードはオープンイノベーションだった。
「市場ニーズに応えていくには自前主義では限界があります。市場に耳を傾けるのは当然のことで、我々はベンチャーやアカデミア、さらにはアーティストやデザイナー、哲学者など、我々とは違う多様な価値観を持った人たちに協力を仰がなくてはならない。新研究棟はそのための“協創空間”と位置付けるべきだと考えました」(中川)
中川は既に東京藝大とのコラボレーションや他社とのプログラムへの参加を通じて、社外との協創による新規ビジネス開拓に取り組んできていた。その経験を踏まえての考え方だった。
ところが中川の提言は響かなかった。
ところが中川の提言は響かなかった。
「オープンイノベーションは待っていてはダメだ、自ら外に出ていってネタを仕込まなければならないと主張し、新研究開発棟はそのための仕掛けづくりを重視すべきだと訴えました。しかし残念ながら当時は手応えがありませんでした」(中川)
河合も振り返る。
「協創空間構築プロジェクト(K-Proコンセプトチーム)の初期説明会に出席したときは、違和感を覚えました。ハードの設計は進んでいるのに肝心のソフト面の説明が曖昧で、このままでいいのかと危惧しました」(河合)
建物を完成することがゴールではない、そこから何をどうやって生み出すべきかということを真剣に考えなければ…。当時コンセプトチームの一員として招集されていた中川は、危機感を覚え、行動に出た。
「プロジェクトの方向性を変えるため、私は自らが飛び道具になることを決心し、“同志”を引きずり込むことにしたんです。それが磯村さん、河合さんたちでした。こうしてスタートしたのが我々の“有志活動”でした」(中川)
02
異端児たちは自由に飛び回った
最初はK-Proコンセプトチームの表立った活動とは別に、水面下の活動としてスタートした。3人が時間を見つけては集まって、自主的に協創空間のコンセプト設計に着手したのだ。
まず行ったのが、AGCからの提案型で生まれたビジネス事例である『5G対応ガラスアンテナ』や『自動車用UVカットガラス』などのケースについての、開発者へのディープインタビューだった。
これからのAGCは単なる素材サプライヤにとどまらず、お客様と一緒に0→1を生み出していかなくてはならない。そのヒントを先行事例の中に求めたのである。
インタビューから見えてきたAGCの協創のエッセンスは「強い想いを持つ当事者が水面下で動き出す」「技術や人脈を補うパートナーと出会う」「各段階で小さく試しながら確信を高めていく」といったものだった。これらのエッセンスを協創空間のユースケースとしてまとめ、ユースケース実行に必要な機能を洗い出し、それらの機能を実現する協創空間のハード、ソフト、人・組織への割り当てと設計を行った。
まず行ったのが、AGCからの提案型で生まれたビジネス事例である『5G対応ガラスアンテナ』や『自動車用UVカットガラス』などのケースについての、開発者へのディープインタビューだった。
これからのAGCは単なる素材サプライヤにとどまらず、お客様と一緒に0→1を生み出していかなくてはならない。そのヒントを先行事例の中に求めたのである。
インタビューから見えてきたAGCの協創のエッセンスは「強い想いを持つ当事者が水面下で動き出す」「技術や人脈を補うパートナーと出会う」「各段階で小さく試しながら確信を高めていく」といったものだった。これらのエッセンスを協創空間のユースケースとしてまとめ、ユースケース実行に必要な機能を洗い出し、それらの機能を実現する協創空間のハード、ソフト、人・組織への割り当てと設計を行った。
「ディスカッションを繰り返して、抽出されたポイントを付箋に書き込んではホワイトボードにペタペタと貼っていきました」(河合)
「このときに活用したのが、私が社会人大学院生として学んだ『システムズエンジニアリング』という手法でした。これは複数の専門領域の多様な価値を考慮しつつ全体最適を実現するためのアプローチです」(磯村)
「このときに活用したのが、私が社会人大学院生として学んだ『システムズエンジニアリング』という手法でした。これは複数の専門領域の多様な価値を考慮しつつ全体最適を実現するためのアプローチです」(磯村)
こうしたディープインタビューは10回以上行われた。そのかたわらで中川たちはオープンイノベーションに知見のあるデザインコンサルティング会社などを訪ねていき、意見交換した。
「非公式で思うままに自由にやっていました。『中川組』とか呼ばれながら」(河合)
業務時間の内外を問わず、自らの意思で自由に飛び回る中川たち。いわば異端児だ。「中川さんたち、また何かやってるよ」と奇異の目で見る向きもあったかもしれない。
「あの頃はワクワクしました。コンサルタントに話を聞いた帰りには渋谷の居酒屋で“これはクーデターだ”なんて盛り上がったり。ただAGCの素晴らしいところは、こうした自由さを許容する懐の深さがあることです。AGCに転職してきた人が“この会社には足の引っ張り合いがないですね”としみじみ語っていたのを思い出します。AGCならではの風土でしょう」(磯村)
03
非公式を公式へと受容する懐の深さ
通常の業務と並行して協創空間設計のコンセプトワークに取り組んでいった中川たちの目論見は、徐々に周囲を巻き込んでいこうというものだった。アンダーグラウンドのままで終わらせてはならない。これは趣味ではなくて、あくまで“好きでやっている仕事”なのである。
「3人で非公式に開発したコンセプトをどうやって協創空間の公式のコンセプトとして採用してもらえるかは、大きな課題でした。そこでK-Proコンセプトチームとは何度も丁寧な議論を交わし、お互いの考え方を認め合いながら対話を進めました」(磯村)
時には新研究開発棟の設計を担当する設計事務所の力も借り、自分たちのコンセプトをより昇華した形にして関係者を説得した。社員から直接伝えるだけでなく、外部の冷静な視点からのアイデアとして提案してもらうことで、多面的な理解を得やすいのではとの発想だ。
K-Proコンセプトチームとの接点という意味で大きな役割を果たしてくれた仲間も現れた。この仲間は、AGCらしい考え方も持ちながら中川たちの考えや言葉をわかりやすく解きほぐして伝えてくれるなど、橋渡しとなる重要な役割を担ってくれた。
K-Proコンセプトチームとの接点という意味で大きな役割を果たしてくれた仲間も現れた。この仲間は、AGCらしい考え方も持ちながら中川たちの考えや言葉をわかりやすく解きほぐして伝えてくれるなど、橋渡しとなる重要な役割を担ってくれた。
「アングラで進めてきた我々の活動もこうして徐々に水面下から浮上してきて、公式な理解が得られるようになっていきました。結果、我々の提案をもとに全員で議論を深めながら『つなぐ、発想する、ためす』という協創空間の正式なコンセプトができ、採用されました」(河合)
「非公式で我々が自由につくったコンセプトを、多くの議論を経て、最終的には正式採用してくれたわけです。AGCのメンバーや幹部の方々は、凄いと思いました。本当に懐が深い」(磯村)
「非公式で我々が自由につくったコンセプトを、多くの議論を経て、最終的には正式採用してくれたわけです。AGCのメンバーや幹部の方々は、凄いと思いました。本当に懐が深い」(磯村)
『AO』というネーミングやロゴマークのデザインは外部のデザイン事務所と協創しながら制作した。その際は経営トップの意見も吸い上げながら、AGCにおける協創について共通認識をつくるところから行い、当時のCTOをはじめ協創空間について同じ想いを持った関係者と対話を重ねた。その対話を通じて生まれたのが、AGCがこれまで蓄積してきた素材に関する知識や技術を“開く”ことで協創を通じて新しい時代を“拓く”というコンセプトだった。そして、ひらく=OPENというキーワードから協創空間はAGC OPEN SQUAREというネーミングとなり、その頭文字をとって『AO(アオ)』と名付けられた。
「協創空間という概念、我々の考えたコンセプトを、見事に言語化、ビジュアル化することができました。プロフェッショナルならではの素晴らしい仕事でしたね」(河合)
04
真のイノベーションはこれからだ
中川たちの“想い”から始まった“AO実現”。
「それが徐々にカタチになっていくときのワクワク感は素晴らしかったです」(河合)
「完成した『AO』を初めて見たときは、自分たちの構想したものがこれだけのスケールで実現したことに感慨を深くしました。AGCの未来はここから変わっていくと確信したものです」(磯村)
「完成した『AO』を初めて見たときは、自分たちの構想したものがこれだけのスケールで実現したことに感慨を深くしました。AGCの未来はここから変わっていくと確信したものです」(磯村)
こうした自主的かつアンダーグラウンドの活動を受容してくれる風土が、AGCには間違いなくある。志を持って発信し続ければ、必ず共鳴してくれる仲間が声を上げてくれるし、支えてもらえるのだ。
「長い間、自由に泳がせてもらったという感覚ですね」(磯村)
冒頭でも触れたように素材の開発には長い時間がかかるのが当たり前で、無数の失敗を重ねた上に初めて革新的な製品が誕生する。だからアンダーグラウンドで長く模索することに対して決して否定的ではなく、むしろ温かく受け入れてくれる風土があるのかもしれない。
それがAGCならではの数々のイノベーションを生み出してきたのだろう。
ただし中川たち3人は、『AO』の完成に決して満足しているわけではない。
それがAGCならではの数々のイノベーションを生み出してきたのだろう。
ただし中川たち3人は、『AO』の完成に決して満足しているわけではない。
「今はまだ『AO』という器ができただけというのが正直な気持ちです」(河合)
「やっとオープンイノベーションのスタートに立てたという気持ちですね。構想していた4割にも届いていない。協創の目的や、我々が何を目指しているのかが社内外に十分発信できているとは言い難く、我々のこれからの課題です」(中川)
「やっとオープンイノベーションのスタートに立てたという気持ちですね。構想していた4割にも届いていない。協創の目的や、我々が何を目指しているのかが社内外に十分発信できているとは言い難く、我々のこれからの課題です」(中川)
中川と河合は協創推進グループの一員として、その課題に取り組んでいく。具体的には顧客との接点を増やしていくための配信企画『AO LIVE』や、社内の技術展示会『ATEX』の開催などを計画している。社内には自主的に誕生した有志団体やコミュニティなども数多く存在しており、そういった想いを持った社員たちにも『AO』をさらに活用してもらい協創につなげていく。
一方でプロジェクトを離れて本業の組織開発の業務に戻った磯村は、次のように期待を寄せる。
一方でプロジェクトを離れて本業の組織開発の業務に戻った磯村は、次のように期待を寄せる。
「私は完成してしまったものにはあまり興味がわかないタイプなので、後のことは中川さん、河合さんたちに託したという思いです。もちろん私もファシリテータとしてサポートしていきます。オープンイノベーションを巡るさまざまなチャレンジはまだまだ続いていくことでしょう」(磯村)
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