オライリー教授と語る、AGCが実践する「両利きの経営」とは? オライリー教授と語る、AGCが実践する「両利きの経営」とは?

Jan.20 2023

オライリー教授と語る、AGCが実践する「両利きの経営」とは?

2022年8月5日、島村さんとスタンフォード大学経営大学院チャールズ・A・オライリー教授のオンライン対談を実施しました。

Profile

チャールズ・オライリー教授 ©Drew Kelly

Lead and Disrupt: How to Solve the Innovator’s Dilemma The Second Edition

チャールズ・オライリー教授 ©Drew Kelly

スタンフォード大学経営大学院教授。専門は組織行動学。リーダーシップ、組織デモグラフィーとダイバーシティー、企業風土、役員報酬、組織変革などについて幅広く研究。特に「両利きの経営」研究の第一人者として広く知られる。同校のMBAプログラムでは「経営者としての視点」「既存組織における起業家的リーダーシップ」等の講座を担当。主な共著書に『両利きの経営―「二兎を追う」戦略が未来を切り拓く』(東洋経済新報社)、「Corporate Explorer: How Corporations Beat Startups at the Innovation Game」(Wiley)。『両利きの経営』は日本で10万部を超えるベストセラーとなった。



島村 琢哉
AGC株式会社 取締役会長

慶応義塾大学経済学部卒業。2007年米国ハーバードビジネススクールAMP修了。1980年旭硝子(現AGC)入社。アサヒマス・ケミカル株式会社社長、化学品カンパニープレジデント、電子カンパニープレジデントなどを歴任。2015年1月には複数事業を経験した初めての社長執行役員CEOに就任。2022年現在、取締役会長を務める。

AGC株式会社 取締役会長 島村 琢哉

佐藤智恵
モデレーター

1970年兵庫県生まれ。1992年東京大学教養学部卒業後、NHK入局。ディレクターとして報道番組、音楽番組を制作。 2001年米コロンビア大学経営大学院修了(MBA)。ボストンコンサルティンググループ、外資系テレビ局などを経て、2012年、作家/コンサルタントとして独立。主な著書に『ハーバードでいちばん人気の国・日本』(PHP新書)、『スタンフォードでいちばん人気の授業』(幻冬舎)、『ハーバード日本史教室』(中公新書ラクレ)。最新刊は『コロナ後―ハーバード知日派10人が語る未来―』(新潮新書)。コロンビア大学経営大学院入学面接官、TBSテレビ番組審議会委員、IT企業の社外取締役等、要職を務める。
オフィシャルウェブサイト https://www.satochie.com

モデレーター:佐藤智恵
スタンフォード大学経営大学院のケースでAGCが紹介されたこと

――AGCグループは2015年から両利きの経営を戦略として推進しています。あらためて、不確実性や曖昧さに満ちた現代において、大企業が「探索(explore)と深化(exploit)」をすることがなぜ重要であると考えるか、オライリー教授の考えをお聞かせください。

チャールズ・オライリー教授 私は、2つの大きな力が世界中の大企業のビジネスに影響を及ぼしていると考えています。

ひとつは、技術革新のスピードが加速していることです。新しい技術が生まれ、その技術が利用される速度が高まっています。人工知能(AI)や機械学習など、ビジネスモデルを一変させるような分野において、技術が次々と出てきています。


もうひとつは、変化のスピードが加速していることです。新しい技術の出現に伴い、政府の規制や消費者の嗜好も変化します。規模が大きく、歴史の長い企業ほど、こうしたあらゆる力の影響を受けます。 


Charles O’Reilly

チャールズ・オライリー教授

そして今、世界中の多くの大企業が問題を抱えています。彼らのコア事業は壁にぶつかっているのです。このような大企業が変化に直面して生き残るための唯一の方法は、既存事業を「深化」させるだけでなく、新しい機会を「探索」し、自社の資産や能力を成長分野に投入することだと私は考えています。これこそが「両利きの経営」です。

島村氏 「2025年のありたい姿」や「AGC plus」で掲げたように、私が2015年にCEOに就任して以来、「両利きの経営」はAGCグループの重要な戦略となっています。


当社は100年以上の歴史を持つ会社です。板ガラスの生産を100年以上続けてきました。しかし、コア事業に関しては、今後の劇的な成長は望めません。私たちが生き残り、成長していくためには、未来に向けてスタイルを再構築しなければなりません。事業環境の変化に対応し、自律的に継続して変革していくというbehavior(行動)を組織文化として定着させることが重要であり、私たちは、「両利きの経営」こそが、私たちが生き残り、成長するための唯一の方法だと信じています。


――スタンフォード大学経営大学院のケースにおいて、AGCが“AGC Inc. in 2019: Your Dreams, Our Challenge”として紹介されました。ケースの趣旨や学生・大学関係者の皆さんの反応などを教えてください。


チャールズ・オライリー教授 私はケーススタディとして、「両利きの経営」を追求している企業を探していたのですが、AGCは素晴らしい事例だと思いました。歴史ある大企業でありながら「両利きの経営」に懸命に取り組んでおり、さらに米国外の企業でもあったからです。


私はすでにスタンフォード大学経営大学院の講座でこのケースを教えましたが、日本企業に対するステレオタイプを覆すもので、非常に好評です。米国の学生の多くは、日本企業は古くて変化に弱いという認識を持っているのです。


AGCは、100年以上の歴史を持つ日本の有名企業。「探索」と「深化」に同時に取り組み、組織や事業を抜本的に変え、その資産を新しいマーケットに投入しています。島村さんとAGCのやり方は、日本だけでなく、世界中に通用するものだと思います。リーダーが大きな組織をどう変え得るのか、当校の学生も大変参考にさせていただいています。

Takuya Shimamura,Director Chairman,AGC.

AGC株式会社 取締役会長 島村 琢哉氏

島村氏 スタンフォード大学経営大学院の世界的に著名な教授が、自分たちのチャレンジを取り上げてくれたことを、AGCグループのメンバーは光栄に思っています。第三者からの評価は、私たちにとって大いに励みとなります。


スタンフォード大学経営大学院のケースでAGCが取り上げられるとは、私も正直言って驚きました。全く予想外でしたね。AGCは古い日本企業です。米国のMBAの学生が特にAGCに興味を持つとは思いませんでした。米国外の、B2Bの素材メーカーは、彼らにとってなかなかイメージがわかないでしょうから。

正直に白状すると、「両利きの経営」という経営理論があることも知りませんでした。2007年にハーバード・ビジネス・スクールのAMP(Advanced Management Program)コースに参加し、『Lead and Disrupt』の共著者であるマイケル・タッシュマン教授からイノベーションを学んだことはあります。しかし、自分がCEOとしてやろうとしていることが、「両利きの経営」と呼ばれるものだとは知りませんでした。


チャールズ・オライリー教授 私たち学者・研究者は、島村さんのようなリーダーを見て学んでいます。島村さんが理論を知る前から「両利きの経営」を実践していたのは、素晴らしいことです。だからこそ、島村さんとAGCグループメンバーがやってきたことを取り上げられたのは、非常に光栄なことでした。

「両利きの経営」と企業文化

――AGCグループは、『Lead and Disrupt: How to Solve the Innovator’s Dilemma』の第2版でも紹介されています。この本では、「両利きの経営」を実践するためには企業文化が重要であると述べられています。企業文化という観点からは、AGCグループの「両利きの経営」をどのように捉えていますか?


チャールズ・オライリー教授 まず、第2版で企業文化について書いた理由は、文化というものがあらゆる変革において重要な部分を占めるからです。企業文化は、変化を阻む隠れた障壁、無意識の障壁となり得ます。ですから、文化の役割を明確にすることが非常に重要だと考えました。


AGCグループは、「両利きの経営」における「探索」と「深化」を実践しただけでなく、従業員を巻き込んで企業文化を変え、より大きな目的意識を持たせました。それが成功の一因だと思います。島村さんは、企業文化と組織体制の両面を同時に取り組んでいるリーダーの好例といえるでしょう。


島村氏 『Lead and Disrupt: How to Solve the Innovator’s Dilemma』はとても印象的な本でした。経営スキルを磨く方法を説く本は多いですが、大企業をいかに活性化させるかについての本は、本当に少ないんです。大企業のリーダーは皆、事業を成長させることに苦労しています。変動性と不確実性に満ちたこの世界では、企業のレガシー(遺産)だけではもはや効果を期待できません。


オライリー先生の本は、私たちのような歴史ある大企業のリーダーや管理職には特に参考になると思います。また、若手従業員にとっても参考になります。この本を読めば、トップが何をしようとしているのか、よく理解できるはずです。


チャールズ・オライリー教授 文化という観点からは、リーダーたちの誠実さと率直さに感銘を受けました。私はケースを執筆するためにインタビューを多数実施したのですが、その際、トップから中間管理職まで、皆ありのままに話してくれました。何がうまくいかなかったのかを教えてくれたのです。成功していること、そうでないことの両方を完全にオープンにするのは、リーダーにとって勇気のいることです。


島村氏 私たちは皆、隠すことは何もない、という思いでした。ただ、スタンフォード大学経営大学院の学生や将来のリーダーたちにとって、このケースが素晴らしい学習ツールになればいいなぁと思っていました。また、これは私たちにとっても学びのプロセスでした。失敗談を率直に語らずして、どうしてオライリー教授から有益なアドバイスが得られるでしょうか。


チャールズ・オライリー教授 若い従業員たちの起業家精神にも感心しました。私は新規事業を進めているリーダーたちにお会いしたのですが、皆さんとても素晴らしい方々でした。シリコンバレーで話を聞いた起業家たちのようでしたね。この会社は、「モノづくり」の文化と起業家精神が共存していると感じました。


大きな組織では、体制やプロセスが階層化されていて柔軟性に欠けるため、若い人たちがやる気をなくしてしまうのをよく見かけます。こうした性質は、「変えたい」「実現したい」と思っている若手従業員の意欲を削いでしまうことがあるのです。しかし、AGCグループで出会った皆さんは、とても意欲的でした。


つまり、従業員の能力を高めるには、若いメンバーが実際に参加し、アイデアを追求できるような組織をつくることが重要なのです。 これは、AGCの経営陣が注力してきたことの一つであり、その改革は本当にうまくいったと思います。

――AGCグループでは、2015年から経営トップとのトークセッションを多く開催してきました。その狙いと効果をお聞かせください。


島村氏 私がCEOに就任した2015年当時、会社の環境は非常に暗いものでした。私がCEOになる1年前、当社の利益水準は2010年の4分の1だったのです。私は、会社を本当に明るくしたいと考えました。ポートフォリオの再構築も重要ですが、AGCグループの成長を支える最も重要な柱のひとつは「人」だと考えていましたし、その人たちが良いチーム(one team)を作るためには明るい企業文化がとても重要となります。


オライリー教授がおっしゃったように、若手従業員は素晴らしいアイデアを持っていますが、中間管理職が失敗を恐れるために、提案する機会が少ないのです。


以前、中間管理職を集めたセッションで、「若い人たちにもっとチャレンジングな経験をさせてあげたらどうですか」と聞いたことがあります。すると、あるマネージャーが手を挙げて、こう言いました。「たしかにおっしゃることはわかります。しかしマネージャーとしては、若い人たちが失敗するのは見たくないんです」と。そこで私は、様々な階層の従業員と直接対談することで、彼らの思いを直に感じてみたくなったのです。


最初の3年間は、年間約50拠点を回りました。1つの拠点で、3回程度のセッションを行いました。したがって、年間のべ150回ほどの対話会をしたことになります。


最初は、若い人たちは遠慮がちでした。しかし、3年経つと心理的安全性を感じたのか、徐々に素直になっていきました。2019年に実施したエンゲージメント調査では、「個人の尊重」「成長の機会」などの項目で大きな改善が見られました。


チャールズ・オライリー教授 年間150回の対話会を3年間続けたことは立派だと思います。変革のためには、経営幹部が定期的に従業員と接することが必要です。変革が失敗するのは、経営幹部が従業員とのコミュニケーションに十分な努力をせず、オフィスに閉じこもっているからです。島村さんが実践したことは、変革を成功させた他のリーダーたちの取り組みとも一致しています。


島村氏 その対話会では、私は創業者の精神である「易きになじまず難きにつく。人を信ずる心が人を動かす。世界に冠たる自社技術の確立を。開発成功の鍵は使命感にあり」を紹介しました。


敢えてそうしたのは、AGCグループのメンバー誰もが共感できるコンセプトだったからです。なぜこの会社を設立したのか、AGCの社会的存在意義を明確にしたもので、従業員が目指すべき姿を示しています。


今のように環境が激しく変化する中では、自分たちでコントロールできる要素とできない要素があります。従業員が同じ方向を向くための羅針盤が必要であることは明らかでした。そこで私は、創業の精神に立ち返って、みんなが企業文化の再構築の必要性を再認識できるようにしたらどうだろう、と考えたのです。言い換えれば、「第二の創業」を目指す時だと思ったのです。

チャールズ・オライリー教授 島村さんの意見に賛成です。企業文化変革の取り組みにおける失敗例をお教えしましょう。「過去にやったことはすべて悪いことで、これからは違うことをしなければならない」と言う考えでは、変革は失敗します。それは、過去と、長年働いてきた人たちを蔑ろにする言葉なのです。彼らは懸命に働き、ベストを尽くしてきた。その努力を蔑ろにすることは、間違ったやり方です。


創業の精神に立ち返るというのは、非常に賢明な方法だと思います。創業の精神を掲げたうえで、「大切なものは、引き継いでいきます。そして、現状にそぐわない分野では、新しい要素を加えていきます」と言えばよいのです。つまり、過去に私たちを成功に導いたものは維持しつつ、将来成功するために必要なものを加えていくことです。

チャールズ・オライリー教授
2030年に向けて

――今後のAGCグループに期待することは何ですか?


チャールズ・オライリー教授 まず、AGCグループのケースを更にもう1件取り上げたいと思っています。この会社の動向を今後も追いかけたいからです。ケースを書くときは、その時点でのことを瞬間的に切り取って紹介します。しかし、これから先、何が起こるかは誰にもわかりません。


もし2件目のケースを書くとしたら、いくつかやってみたいことがあります。モビリティ、エレクトロニクス、ライフサイエンスといった新規事業で、何がうまくいき、何がうまくいかなかったのかをお伺いしたいと思います。若手従業員にもお話を聞いてみたいですね。若手メンバーは生き生きしているか、そして熱意はあるか。2件目のケースが、AGCグループのサクセスストーリーになってほしいと思います。


島村氏 それは光栄なことです。


チャールズ・オライリー教授 ただ、成功するという保証はありません。今の経営層がこの旅を続けるのであれば、成功すると私は思います。

AGC株式会社 取締役会長 島村 琢哉氏

島村氏 私の役割は、第1フェーズのリーダーとして、全社的なボトムアップを図り、抜本的な改革に取り組むこと-すなわち、事業ポートフォリオの再構築、将来の成長をもたらす戦略的事業の絞り込み、一部事業の撤退-でした。


また、各部門や事業の役割を再定義し、「これが、私たちの新しい目標です」と全従業員に伝えることも私の役割でした。具体的には、コア事業のメンバーに対して、「利益を出すことではなく、キャッシュを生み出すことがあなたのゴールです」と説きました。 いうまでもなく、キャッシュを生み出すことは、会社全体にとって極めて重要な意味を持っています。


そして、現在のCEOである平井さんは、AGCグループの「両利きの経営」の第2フェーズに一生懸命取り組んでいると言えるでしょう。

平井さんの役割は、会社のさらなる成長のために、戦略事業をインキュベートして、規模を拡大することです。彼は自分の役割を明確に理解しており、全従業員に会社の目標を繰り返し強調しています。


チャールズ・オライリー教授 次のケースを書くときには、トップだけでなく従業員も力を合わせたために成功した、そんな会社になっていることを期待したいです。


コア事業の深化と新規事業の探索・拡大は、会社の将来にとって極めて重要だと思います。


コア事業と新規事業、どちらに携わる従業員も「両利きの経営」を理解し、AGCグループの一員として会社に誇りを持ち続けてほしいと思います。

※部署名・肩書は取材当時のものです

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