イノベーターのための素材メーカーへ(前編) 垣根をなくした“場”で 生みだす新たな価値 イノベーターのための素材メーカーへ(前編) 垣根をなくした“場”で 生みだす新たな価値

Nov.26 2021

イノベーターのための素材メーカーへ(前編) 垣根をなくした“場”で 生みだす新たな価値

世界屈指の規模を誇るガラスメーカーとして知られるAGCは、新たな事業発展の道を拓くために、オープンイノベーションを軸にした研究開発の変革を加速している。その取り組みの中核拠点として、2021年6月に本格稼働させた横浜市鶴見区にある新研究開発棟内に、「協創空間『AO』(AGC OPENSQUARE)」を開設した。様々な思いや知見・技術を持った人々が社内外から集まり、新しい何かを生み出す場である「AO(アオ)」は、いったいどのような空間なのか。「AO」を訪問し、そこで活動する社員に話を聞いた。

「オープン」と「クローズ」のエリアが共存

――最近、オープンイノベーションを重視し、それを実践する拠点を新たに設ける企業が国内で増えました。こうした中で、AGCのオープンイノベーション拠点である協創空間「AO(アオ)」の注目すべきところはどこか。施設の中を拝見しながら教えていただきたいと思います。


加藤氏 ここは、1916年に操業を開始したAGCの国内生産拠点の1つですが、2020年に拠点名を京浜工場からAGC横浜テクニカルセンターと改称し、全社の研究開発を担うメンバーが多く集まる拠点となりました。正門から見える中央のブリッジでつながれた2つの建物が、研究開発拠点です。これらの建物の奥に、住宅・ビル用のガラス、ディスプレイ用カバーガラスなどを製造する工場があります。

2つある研究開発の建物のうち、正門から向かって右側に見える建物が、総工費200億円を投じて建設し、2021年6月に正式にオープンしたばかりの新研究開発棟です。新たに研究開発棟を増設して、それまで別の場所にあったもう1つの研究開発施設を1カ所に統合しました。現在、約700名の社員がここで働いており、そのうちの約600名が研究者です。


本日ご紹介する「AO」は、新研究開発棟の一角にあります。

AGC横浜テクニカルセンター/新研究開発棟の外観

AGC横浜テクニカルセンター/新研究開発棟の外観


加藤 朱美氏

技術本部企画部 協創推進グループ 協創企画・管理チーム 空間マネージメントユニット リーダー 加藤 朱美氏

――正門から見える新研究開発棟の手前の部分は、全面がガラス張りになっていて、近代的な外観になっていますね。


加藤氏 そのガラス張りになった辺りが「AO」です。4階建ての新研究開発棟は、1階から4階まである建物全体が2つに仕切られていて、手前のガラス張りの部分は、お客様や大学、ベンチャー企業などの社外パートナーの方をお迎えできるオープンなエリアになっています。もう1つのエリアは、ここに勤務する従業員以外に立ち入りが厳しく制限された社内専用のクローズなエリアです。このようにクローズなエリアとオープンなエリアが1つの建物の中で共存しているところに、私たちが目指す「協創」の概念が反映されています。

従来、日本企業の研究開発施設の多くは、所属する研究者や技術者以外の人の出入りが厳しく制限されていました。研究開発は、研究者を抱え込んで自前で進めるのが当たり前で、研究開発に関する情報は企業秘密だったからです。AGCの研究開発施設も、かつては、例外ではありませんでした。


ところが、こうした自前の研究開発だけでは、技術の進化に追いつけなくなってきました。これでは企業の競争力の源泉となるイノベーションもなかなか生まれません。異なる業種や分野の技術やアイデアなど、社外のリソースと自社の技術やノウハウを組み合わせて革新的な成果を生み出すオープンイノベーションの考え方を採り入れる必要があります。


そこで新たな研究開発棟を建設するに当たって、オープンイノベーションの概念をより速やかに実践できるように、社外に向けて開かれたエリアを設けることにしました。新研究開発棟の2つのエリアの間は明確な境界を設けて厳密に仕切られていますが、ここに所属する研究者は、2つのエリアを自由に行き来ができます。

新研究開発棟と「AO」の概念図(提供:AGC)

新研究開発棟と「AO」の概念図(提供:AGC)

――いつごろからAGCは、オープンイノベーションを重視するようになったのですか。


加藤氏 AGCにはこれまでも、時代をリードするお客様とご一緒に、独自の素材やソリューションで社会に貢献してきた歴史があります。事業のさらなる発展に向けて、よりオープンイノベーションに力を入れる方針を経営陣が明らかにし、「協創」と呼ぶようになったのは2017年頃のことです。経営陣が協創に取り組む方針を打ち出してから、社外の組織や企業などとのコラボレーションによる様々な協創プロジェクトが立ち上がりました。そのうちのいくつかは、すでに一定の成果が出ています。「AO」の開設によって協創に適した環境が一段と整ったことで、協創に関する取り組みが一段と活発化することを期待しています。


――これまで実施した協創プロジェクトについて教えてください。

異分野との協創で新たなスキルを獲得
山本 今日子氏

技術本部企画部 協創推進グループ 協創企画・管理チーム 協創ユニット リーダー 山本 今日子氏

山本氏 国内自動車メーカー6社の内装デザイナーが集まったクリエイティブ集団、JAID(Japan Automotive Interior Designers/ジャイド)とAGCによる協創プロジェクトを、2019年から約2年間にわたって実施しました。AGCが提供する素材や技術と、JAIDのメンバーのクリエイティビティを融合して、「8.2秒」をテーマにした複数の展示物を制作しました。


「8.2秒」は、初めて対面したモノや人に心が動いたり、好きになったりするまでにかかる時間です。このプロジェクトでは、メンバーが複数のグループに分かれてそれぞれが、8.2秒間にガラスなどの素材が介在することで起こる物語を描き、表現しました。

実際にはJAIDの方々が表現のアイデアや作品のイメージを提供し、研究開発部門から参加したAGCのメンバーが、様々な素材や技術を使って、それを具体的な形にしました。完成した作品は東京都中央区京橋にあったAGCのブランド発信拠点「AGC Studio」で開催した「8.2秒展」で披露しました(2021年3月22日~6月19日)。展示会終了後、作品は「AO」で展示しています。


――素材の研究者とデザイナーでは、持っているスキルや物事の考え方がずいぶん違うはずです。協創プロジェクトを進める中で、それらの違いによって様々な問題が生じたのではないでしょうか。


山本氏 その通りです。そもそも研究者とデザイナーの「共通言語」がありませんでした。表現の仕方や話す内容も違います。このため、当初は両者の間で、なかなかうまくコミュニケーションがとれませんでした。時間とともにお互いの特性が分かってくると、こうした問題は徐々に解消されました。こうした経験を経たAGCのメンバーは、デザイナーの方々がおっしゃる概念的な表現を、様々な素材を使って具現化するチカラが身に付いたと思います。

新たな協創につながった逆の発想

中川氏 私からは、特定非営利活動法人日本ブラインドサッカー協会とAGCによる協創プロジェクトをご紹介します。このプロジェクトで誕生したのが、コートのサイドラインに沿って設置するポリカーボネート製の透明なサイドフェンスです。2018年に完成したポリカーボネート製の透明サイドフェンスは、いまも公式試合で使われています。


プロジェクトの始まりは、研究所の若手社員有志が立ち上げた情報発信プロジェクトでした。AGCの製品や技術を社外に発信する機会を創出することを目的としたプロジェクトです。ここに参加した社員の議論の中でスポーツを利用して、AGCの技術や製品をアピールするというアイデアが浮上しました。それを実践する機会を探しているうちに、日本ブラインドサッカー協会と出会い、同協会が抱えている課題をAGCとの協創によって解決することになりました。

中川 浩司氏

技術本部 企画部協創推進グループ 協創企画・管理チーム 協創ユニット マネージャー 中川 浩司氏

フェンスの画像(フィールドに設置されたポリカーボネート製フェンス(C)JBFA/H.Wanibe)

フェンスの画像(フィールドに設置されたポリカーボネート製フェンス©JBFA/H.Wanibe)

当初、同協会が探していたのは、コート内の静音性を高める技術でした。ブラインドサッカーでは、全盲の選手がアイマスクをして、ボールが発する音を頼りにコート内でプレーをします。このため、コート内は静寂を維持する必要があります。


ところが、その問題に取り組む前に、もう1つ別の問題があることが分かりました。コートからボールや選手が飛び出すのを防ぐポリカーボネート製サイドフェンスの透明度と強度です。透明度の低いフェンスが観客の視線の邪魔をしていました。試合中に選手が激しくぶつかると、フェンスが壊れることがあるという問題もありました。このため、高い透明度と優れた強度を兼ね備えたフェンスを実現する技術を模索しました。


ポリカーボネートは、AGCが大量に扱っている素材なので透明度や強度などの特性を調整する様々なノウハウを蓄積していました。これらを駆使して、まずは高い透明度と優れた強度を兼ね備えたサイドフェンスを実現しました。


しかし、当初からの問題だった遮音の問題は残っていました。サイドフェンスのプロジェクトが終了して、しばらくしてから日本ブラインドサッカー協会から、この件で改めて相談を受けたのです。


――1つのプロジェクトから、さらに新たなプロジェクトが生まれたのですね。


中川氏 そうです。解決につながるアイデアを探し出すために、また社内の有志を募って議論を開始したところ、画期的なアイデアが出てきました。それまで、周囲の音を遮ることを考えていたのですが、全く逆の発想で、音の発生を抑えるというものでした。つまり観客が発する歓声の音量を下げる防音マスクを開発するというアイデアです。現在、「AO」内にある設備を使って、この防音マスクの試作を進めています。

コンセプトの要素をそのまま形に

――実例をうかがうと協創が研究開発や製品開発に大きな可能性をもたらすことが実感できます。では、改めて「AO」の内部を拝見することにしましょう。新研究開発棟の入り口を入ると、そこがもう「AO」のエリアですね。「AO」の内部は、天井が高く、鉄骨の梁がむき出しになっていて、かつてここにあった工場の建物を流用したかのような印象を受けます。

「AO」の1階(提供:AGC)

「AO」の1階(提供:AGC)

加藤氏 オープンイノベーションの拠点というと、美しく整った清廉な場所を思い浮かべる方もいらっしゃるかもしれませんが、「AO」の内装を検討した際に、あえて武骨な荒々しい雰囲気の空間とすることにしました。高熱や特殊なガスを扱う厳しい環境でものづくりを続けてきたAGCが培った社風や技術には、よりふさわしいと考えたからです。ここを訪れた方々にも、試行錯誤で挑戦してきたものづくりの熱量と未来感が共存したAGCならではの雰囲気を肌で感じていただきたいと思っています。


――確かに「AO」には独特の雰囲気があります。空間全体の統一感を醸し出すには、コンセプトが重要です。「AO」全体のコンセプトを教えてください。


加藤氏 「AO」の基本コンセプトは、「つなぐ」「発想する」「ためす」の3つのキーワードで表しています。「つなぐ」は、人と人の出会い、それぞれの思いを共有することを表しています。「発想する」は、新しい事業やサービスにつながる革新的なアイデアを生み出すこと。「ためす」は、革新的なアイデアを検証しながら思いを具体的な形にすることを表しています。


――そのコンセプトを基に、「AO」にはどのような施設を設けているのでしょうか。


加藤氏 3つのキーワードのそれぞれに対応した施設を設けました。「つなぐ」を実践するための場として設けたのが、「AO」の1階にある「AO Gallery」と2階にある「AO Park」です。


「AO Gallery」は、社外とのコラボレーションの成果を展示するスペースです。現在は商業施設やイベントの空間などの設計、施工を手掛ける乃村工藝社とのコラボレーションによって制作したインスタレーション「Inside of Material」を展示しています。透明な状態と曇りガラスの状態を瞬時に切り替えることができる調光ガラス、音を発する音響ガラス、熱線反射ガラスを使ったディスプレイを組み合わせて、マテリアル(素材)の内側にある世界を、視覚と聴覚から感じることができる空間を実現しました。

インスタレーション「Inside of Material」の画像(提供:AGC)

インスタレーション「Inside of Material」の画像(提供:AGC)

2階の「AO Park」は、「AO」を訪れた人たちとAGCの社員が交流し、協創に向けた思いを共有するための場です。AGCにおける研究開発の歴史や成果を紹介する展示コーナーを設け、その周辺にオープンな打ち合わせスペースとクローズな打ち合わせスペースを、それぞれ複数用意しました。


展示スペースでは、これまでAGCがお客様のニーズに応えて生み出した様々な技術を紹介しています。これはAGCの強みや、優れた技術を、ここに訪れた方にアピールするためだけの展示ではありません。この展示の内容を巡って、AGCの社員とお客様の間で対話が始まることを期待しています。

「AO Park」(2階)の風景

「AO Park」(2階)の風景

「発想する」に対応しているのは4階の「AO Studio」です。ここにはAGCにおける研究開発の最新成果が多数展示してあり、AGCが開発した先端素材を、お客様がご覧になって、触れていただくこともできます。これが革新的な技術や製品、問題解決につながるインスピレーションをもたらすキッカケになると考えて、こうしたスペースを用意しました。

「AO Studio」(4階)の風景(提供:AGC)

「AO Studio」(4階)の風景(提供:AGC)

――2階の「AO Park」を抜けてIDパスが必要なゲートをくぐったところに、たくさんの部屋が見えます。


加藤氏 そこが「AO Lab.」で、3つのキーワードのうちの「ためす」を実践するところです。社内や社外から集まった人が、一緒に試作をして新しいアイデアの可能性を検証したり、具体的な成果の実現に取り組んだりするための場を提供しています。いわば協創のためのプロジェクト・ルームです。2~4階に14部屋が用意されており、各部屋は個別に入退室が管理できるようになっています。それぞれのプライバシーを守りながらプロジェクトを進めることができるようにしました。

「AO Lab.」の全体概観(2階)

「AO Lab.」の全体概観(2階)

「AO Lab.」に用意した複数の部屋のうち、一部はAGCの研究開発部門の成果の中で幅広い用途に展開できる基盤技術を社内外に提供するラボになっています。具体的には、デジタル・データを基に立体物として出力する3Dプリンタを使った造形技術を手掛ける「AM(Additive Manufacturing)ラボ」。そして、コンピュータで作成した映像を使って現実に近い状態を人間が感じることができるようにするVR(Virtual Reality、仮想現実)システムを開発する「XRラボ」などです。このほかに、電気炉を用いて様々な種類のガラスの溶融プロセスを検証する施設もあります。

AM(Additive Manufacturing)ラボ

――素材を扱うAGCが、3Dプリンタを使った造形を基盤技術と位置付けているのはなぜですか。


勝呂氏 3Dプリンタを使った造形技術から生まれる、素材の新しいニーズや可能性を探るのがAMラボのミッションです。プラスチック材を使って造形する3Dプリンタは、すでに市場で数多く使われています。


AMラボではガラス、セラミック、カーボンファイバーなど、プラスチック以外の素材を使った造形に取り組んできました。このために、AMラボには、使用する素材が異なる複数の3Dプリンタが設置されています。このうちカーボンファイバーが使える3Dプリンタは、現状では日本にまだ2台程度しかないはずです。

勝呂 昭男氏

技術本部先端基盤研究所 ガラスプロセス部リヒートプロセスチーム マネージャー 勝呂 昭男氏

こうした先進的な技術エリアの研究にも積極的に取り組んでいます。お客様の高度な要求に応じた技術の検証だけでなく、社内の研究や製品開発の過程で必要が生じた技術検証も、ここで対応できます。

――ガラスなどの素材メーカーとして歴史が長いAGCが、3Dプリンタを使った造形技術に取り組んでいることは、社外ではあまり知られていないのではないでしょうか。


勝呂氏 確かに、そうかもしれませんが、AGCの研究開発部門が3Dプリンタを導入したのは最近のことではありません。最初に3Dプリンタを購入したのは2011年です。当初は、主に社内向けの応用や素材の開発に利用していました。こうして技術やノウハウを蓄積し2017年から協創の場でも使っています。

XRラボ

――素材を主に扱うAGCがVRシステムの開発に力を入れていることは意外でした。


小林氏 コンピュータを利用して、ガラス表面やガラスを通した風景の見え方を評価する技術には、かなり前から取り組んでいます。こうした評価はガラス製品を開発するうえで重要なポイントです。


従来は仕様を変えたガラスを実際に作って、外観や風景の見え方などを確認していたのですが、実際のガラスを製造すると、どうしても時間がかかります。これがガラスの製品開発期間短縮のネックになります。このためコンピュータを利用して、ガラスの視覚的な特性を評価するシミュレーション技術の開発に長年取り組んできました。業界の中でも、シミュレーション技術は進んでいる方だと思います。

小林 光吉氏

先端基盤研究所 共通基盤技術部 評価科学チーム マネージャー 小林 光吉氏

こうした取り組みの最先端がVRシステムです。VRシステムを使うことで、周辺の空間の影響も含めた実践的な評価が効率よく実施できるようになります。例えば、自動車のフロントガラスの場合は、車内からガラスがどのような色に見えるのか、周りの風景がどれくらい映り込むのか、ガラスを通して風景がどのような色や明るさで見えるのか、などの評価ができます。


――自動車の運転席を再現した装置がありますね。これがVRシステムですか。


小林氏 そうです。開発したシステムの1つです。自動車のフロントガラスを通して見える風景が、ガラス素材の種類、厚みや形状などによって、どのように変化するかを疑似体験できます。自動車の運転席を再現した装置のシートに着席して、ゴーグル型のディスプレイを装着すると、ディスプレイにフロントガラスを通して見える風景が映ります。目線を変えたり、頭の向きを変えたりすると、この部屋の周囲に取り付けたセンサーが、これらの動きを検出して、ディスプレイに映った画像を変化させます。これによって、実際に自動車の運転席から外を見ているかのように感じさせることができるわけです。

――様々な施設を拝見して、AGCが並々ならぬ決意のうえで協創に対して取り組んでいることが、よく分かりました。ここから生まれるイノベーションが、AGCやAGCのパートナーに、どのように変革をもたらすのか、今後の展開を楽しみにしています。

日経クロステック Special 掲載記事

※部署名・肩書は取材当時のものです

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